2月 032011
 

2008年12月19日(金)。

もう2学期もあと1週間。このまま落ち着いた登校ができればいいと思っていた。

いつもの朝の突然のつぶやきだった。

「今日、行けるかもしれない。」本当に小さな声でボソッと。

「えっ!」

「今日、行けそうな気がするよ。」

「ほんとに?」

「うん。」

まだ姉が登校したばかりだから、用意をして登校できればまだ始業時間には充分間に合う。

もう決めていたんだろう・・・。まったく躊躇することなく、準備を終わらせ家を出た。

私だけがひとり、舞い上がっていた。

「この時間なら普通じゃん。きっとまだクラスで来ていない子もいるよ。やったね!」

「まだ来てない子もいるよ。」と誇らしげだった。

校門の手前、いつものように教室まで送ろうとすると、「もうここでいいよ。」と友達のところまで駆けていった。

この日が来るのをどれほど待ち望んでいたか。喜んでいいはずなのに、あまりにあっけなく、なんだか信じられない。

8ヵ月ずっと一緒に登校してきた。その日々を思い出していた。

始業式、翌日の突然の不登校から256日め・・・。

娘は、ひとり飛び立った。

<つづく>

 Posted by at 9:32 AM
2月 022011
 

もう2学期も終わろうとしていた12月。大きな行事であった「運動会」も「学習発表会」も何とか乗り切り、特に変わった様子もなかった。

一学期は全く参加できなかった体育の授業も、運動会練習をきっかけに、出席できるようになった。

とくにポートボールに夢中だった。自分のチームが勝ち続けているのがうれしくてしょうがないらしい。「今日も勝ったよ。5連勝だよ。」と楽しそうだ。おかげで放課後まで、娘のポートボール練習に付き合わされるはめに。そういえば、不登校になる前は、よくドッジボールとか縄跳びとか付き合わされたのを思い出した。

さて、二学期も終盤にさしかかり、三学期の始業式から、登校刺激(親が登校を促す行動のこと)を与えるべきかどうかを、スクールカウンセラーに相談した。カウンセラーの先生は「もうYちゃんに登校刺激は必要ないかもしれません。学校でも休憩時間は友達と楽しそうに遊んでいるし、授業中も以前ほどこわばった様子も見えないので、登校については、今まで通りYちゃんに決めさせてあげてください。」と言われた。

そういえば、宿題を嫌がることもなくなったし、テストでも80点くらいはとれるようになった。苦手の算数も結構自分で計算するようになり、間違いも少なくなっていた。

1時間目から登校するのはまだ難しいようだが、2時間目からはコンスタントに登校でできていた。本人も自信をつけたのか自分で登校時間にあわせて仕度をしていたから、私は一緒に登校するだけで事足りるようになった。一学期の始業式からのドタバタは、もうかなり昔のことのように感じていた。

<つづく>

 Posted by at 9:46 AM
2月 012011
 

11月のある日、我が市に、不登校を考える親の会があることを知り、その会合に伺った。参加してしたのは、自ら不登校の子どもを持っているか、以前不登校していた子どもをもっていた保護者の人たちで7~8人はいたと思う。

入室するとみなさん顔見知りのようで和気あいあいと世間話をしてなごやかな印象だった。私は、今の娘の状況を隠しごとなく、なるべく細かく話した。

以前、不登校でもう成人した男の子を持つお父さんからは「Yちゃんは、全然大丈夫ですよ。だって学校に行けているじゃないですか。それは、もう不登校じゃないないですよ。安心していいんじゃないですか。」

私と同じように不登校の娘を持つお母さんからも「Yちゃんは、わずか9歳で学校に行かないという生き方を選択したんです。それは、彼女の生き方だから誰にも邪魔する権利はないんです。いずれ学校に行くという決心がつくまで、親は待つしかないですよ。」

会を総括されているIさんからも「学校に行くことは当たり前のことではありません。親は学校にさえ通っていると、子どもたちがいろんな問題を抱えていることに気付かず安心しているけど、本当はすごく悩んでいるかもしれない。もしかすると学校に行かない生き方だってあるのかもしれない。いい機会だからお父さんも、学校に行かせる意味を考えてみたらいいんじゃないですか。子どもは親をよく見てますよ。親が変わることなく子どもがかわることはありません。」

どの方のお話にも今まで聞いた専門家の人たちの話とは違う説得力があった。

会の後、なぜか、気持ちがすごく楽になったし、力をもらえた。それは、同じ立場、同じ目線で話してもらえたからだと思う。なおかつ、そこにいる誰もが「不登校」の子どもと向き合い、悩み、疲れ果てた経験があるからだろう。

「娘は不登校という生き方を選択した。」ということと「親自身が変わらない限り、子どもが変わることはあり得ない。」ということを肝に銘じた。

<つづく>

 Posted by at 9:45 AM
1月 312011
 

運動会が終わり、11月。定期的にスクールカウンセラーの先生と話をしていた。娘は、少しずつだが着実に通常登校への階段を昇りつつあった。先生からは「順調に回復してきているので、今のままで、あせらず付き合ってあげてください。」ということだった。この頃になると、私の方も半分は腹を括って、もう半分は開き直って「4年生になるまでは、このまま一緒に登校してあげよう。」と考えていた。

運動会の揺り戻しもなく、落ち着いていた。朝起きて、担任の先生から時間割を聞いて、何時間目から登校するかを自分で決める。それが一時間目のときもあれば、3時間目になってしまうときもある。

登校時間にあわせて、着替えを済ませ、時間割をあわせて一緒に登校する。学校までの5分くらいの道を、私が勝手に作った替え歌を歌いながら(娘は恥ずかしがってはいたが・・・)校門をくぐる。3階の教室まで一緒に登校。クラスメイトが迎え入れてくれて、私は引き返す。

慣れてしまうと、これが当たり前であると勘違いしてしまうくらい安定した毎日だった。この頃は自分で決めた登校時間をごねたり、嫌がったりすることはなかった。家に帰ってくると、友達と近所の児童館に遊びにいき、夕方暗くなるころ帰宅するという毎日だった。

次の難関は、一番苦手とする「学習発表会」。壇上で自分のセリフを言わなきゃいけない。注目もされるし、緊張もする。この難関を乗り切れれば、通常登校への道は一挙に切り開かれるような気がしていた。

その日、いよいよ学習発表会の内容の説明があるということで、しきりと「どういうことやるのかな?」と不安がり、給食まで登校することができなかった。3年生の発表会は、国語の授業でも学習した落語の「寿限無(じゅげむ)」をクラスみんなでセリフを分担してやることになった。

娘の役は、「村人その5」に決まっていた。一人で言うセリフは劇中で2個だけだったが、嫌がる様子はなかった。出し物とセリフが決まって安心したのか、意欲的に練習しはじめた。何度も「聞いて、聞いて。」と言っては2つのセリフを大声で言っていた。自分のセリフに飽きると最初から全部を読みはじめ、「ここは、○○くんのセリフ、ここは○○ちゃんのセリフで、この後ころんだりするんだよ。」と教えてくれた。

発表会練習は、ほとんどが一時間目だったのだが、それに合わせて登校するようになった。1学期、自己紹介が嫌でソファーにしがみついていた娘とは別人のようだった。

発表会当日。多少の緊張感をかもしながら、でも臆することなく登校した。舞台で動き回る娘の姿がとても誇らしくうれしかった。不登校がはじまって8カ月。この日、もう通常登校までそんなに時間がかからないだろうと確信した。それがいつになるのかはわからなかったが・・・。

<つづく>

 Posted by at 9:24 AM
1月 292011
 

2学期がはじまって間もなく、「運動会」のシーズンに突入した。運動会をどう乗り切れるか、不安と期待の入り混じった心境だった。

まだ運動会練習が始まっていなかったが、その日は珍しく「体育」の授業を受けるという。大丈夫かと不安もあったが、体操着をもって登校した。教室ではもうみんな着替えを終えて運動場に集まっていた。着替えするのを待って一緒に運動場に向かった。友達が「Yちゃん、ここだよ。」って教えてくれ、緊張した顔で整列していた。

帰宅すると、その日の体育がいかに楽しかったのかを興奮気味に話してくれた。「徒競争で、3番だったよ。本当はもう一人抜けそうだったんだけど、だめだった。次は2着になるからね~。」妙に自信たっぷりに話すのでこちらも「2番と言わず、一着は?」と聞くと「それは無理!」と即座に返された。

この徒競争で自信をつけたのか、翌週から始まった運動会練習には、一時間目からでも登校した。走るだけではなく、クラスのみんなと一緒のダンスにも遅れることなく付いて行った。家に帰っても今日どんなダンスをしたかを得意げに話してくれる。まるでこのまま朝から行けるようになるのでは、と思わせるほどの回復ぶりだった。その意欲が現れているのか、練習がある日は1時間目の始業にあわせて、練習がない日でも2時間目からは登校できるようになり、「運動会刺激」がいい方向で娘の登校を促していた。

いよいよ運動会の朝。かなり緊張していたようだが、なんとかみんなの登校時間にあわせるように学校へ。到着するとすぐに友達と一緒に着替えはじめた。

50m走は二着。学年でのダンスも元気にこなし、お弁当はお友達と一緒に楽しそうに食べた。娘にとって、「運動会」を乗り越えられたことは大きな自信となったようだ。

運動会があまりに順調に終わったので、逆に不安になった。完全燃焼した揺り戻しがあって、このいい流れが止まってしまうのではないかと不安だった・・・。

<つづく>

 Posted by at 4:53 PM