10月 192016
 

静かに時は 流れゆき 春が舞い降りてくる

出会いを噛みしめてる間に 一年が過ぎた

初めて出会った頃の 人懐っこい笑顔に

ずっと支えられたまま 季節が巡っていた

 

きみ達の明るさ 優しさ そして素直さに

触れるたびに いつも 自分が恥ずかしくて

みんなと一緒に ここまで 歩いてこれたこと

僕の一番の宝物に なるような気がする

 

双葉から育ち やがて大きな木になれ

天まで届くような 大きな木になれ

 

言葉では とてもとても 言い尽くせないほどの

たくさんの贈り物を いま胸に抱いて

お返しできるものが なにもないけれど

今 この歌とともに 「どうもありがとう」

 

双葉から育ち やがて大きな木になれ

天まで届くような 大きな木になれ

 

 

8月 152015
 

27年前、当時、受け持っていた心障学級の子供たちに送った曲が「大きな木になれ」。

以降、その小学校で、まるで校歌のように歌い継がれたことを知り、信じられない思いでした。

先日、その小学校の卒業生の「草野」さんより、「大きな木になれ」の歌詞の1部を

ご自分のイラストに使用したいとのメッセージをいただき、驚きました。

いまだに卒業生の心の中に記憶してもらえていることは、夢のような話でした。

完成したイラストを拝見し、当時、教え子に送った曲が、

「家族」のイラストに生まれ変わったなんて、とっても幸せな気持ちになりました…。

p22

 

 

1月 172013
 

11月に出席した小学校の「60周年集会」の広報誌が送られきた。

そこには、「大きな木になれ」の歌詞と、当日の模様がまとめられ、60周年記念号の中の2Pを割いてくれていた。

早速、送ってもらった御礼の電話をしたのだが、副校長先生からは、

「今度は、子ども達の前で歌ってあげてほしい。」と言われ、

何だか照れ臭かったけど、それはそれで嬉しい話だ

文章の中に「当時バンドを組んで歌っていた前出さんが、学級の子ども達に向けて歌った曲で、

当時は、ロックぽく歌っていたのだとか。」と書かれていたのには、ちょっと苦笑いでしたが・・・。

送り状には、「これからも『大きな木になれ』を歌い継いでいきます。」とあったのは、何より嬉しい。

私が死んだ後も、歌だけが残ったりしたら、最高だな~ちょっと妄想してしまった!

IMG_20130117_104341

 

11月 202012
 

当時、大学を卒業し、まだまだ行く末は決まらず、バンド仲間と部屋を借りて住んでいた。

生活のため、バイトに明け暮れていた私に、友達から誘われたのが、公立小学校の介助員の仕事だった。

気軽に引き受けたものの、学校に行くと、今でいう「派遣社員」だったのだが、扱いは完全に「先生」だった。

ということで、突然、始業式から、「先生」と呼ばれる生活が始まった。当時、ペアを組むT先生とO先生は、とても優しく暖かい人だったので、東京でのお父さん、お母さんという存在になった。

仕事が終わって、深夜までバンド練習という日々で、朝寝過ごしてしまい、遅刻ということもあったが、(起きたら、給食の時間ってこともあったな~)それでも、2人の先生は、嫌な顔ひとつせず、苦笑いしながら、暖かく見守っていてくれた。

そうして、子どもたちと過ごした1年間は、本当に楽しく、あっという間に過ぎ去った。

1年の契約切れで学校を辞めるとき、感謝の気持ちを綴ったのが「大きな木になれ」だった。

今日、25年ぶりに全校児童が合唱するこの曲を聴きながら、まだ古い校舎だった当時の情景を思い重ねていた・・・。

IMG_20121120_085450

11月 122012
 
 このブログでは、何度か登場した「大きな木になれ」の続編。 

 

先日、その小学校の先生から、「大きな木になれ」についてお話を伺いたいという話があり、子どもたちのインタビューを受けてほしいとの依頼があった。

「大きな木になれ」は、当時、学校を辞める際、私が担当した特別支援学級の子どもたちのために作った曲だ。

その曲が、25年たった今も、この学校の第2校歌のように歌われているとのことで、子どもたちがその経緯を知りたいということでした。

今日、子どもたちの質問を受けながら、この曲だけが、ずっと独り歩きしてくれることに、いつも感動してしまう。

歌詞の中に「みんなと一緒にここまで 歩いてこれたこと ぼくの一番の宝物に なるような気がする」と書いたのだが、25年たっても「大きな木になれ」がいろんな人々を繋いでくれることに、いつも、感動してしまう。
建て替えで、とても綺麗になった教室ですが、匂いはあの頃と同じ子どもたちの匂いがした・・・。

 

IMG_20121112_162019