昨日の「堤清二さん死去。」の報に接し、80年代~90年代若者文化を享受したひとりとして、感慨深いものがあった。
19歳で上京し、東京カルチャーに接した大きな要素は「PARCO」と「ぴあ」であった。
言うまでもなく、「ぴあ」は音楽、演劇、美術の情報発信源としてだが、「PARCO」はもっと多元的な意味合いで、若者を文化の中に引きづり込んだ。
わかりやすく言えば、当時の大学生にとって、オシャレなものといえばすべて「PARCO」だった。
ファッションはもちろんのこと、そのCMも今の「ユニクロ」の比じゃない程、カッコよく響いた。
渋谷には、PARTⅠ~Ⅲまでの「PARCO」が、発信基地として確固たる地位を占め、PARTⅢに演劇専門劇場があり、野田英樹も鴻上尚史も三谷幸喜も、「PARCO劇場」を巣立っていった。
私ごとではあるが、28歳の頃、PARTⅢにあったスタジオで、木野花さんが主宰する「パルコドラマスクール」に参加し、演劇をかじったこともあった。
「セゾン美術館」では、時代の先端をゆく現代アートやポップカルチャーを紹介し、そのすべての仕掛けをつくった張本人が、「堤清二」だった。
バブルの崩壊とともに、栄華を誇った西武王国も傾き、清二氏自身晩年は表に出ることはなかったが・・・。
堤清二氏のような文化の担い手は、もう現れないのかもしれない・・・。