運動会が終わり、11月。定期的にスクールカウンセラーの先生と話をしていた。娘は、少しずつだが着実に通常登校への階段を昇りつつあった。先生からは「順調に回復してきているので、今のままで、あせらず付き合ってあげてください。」ということだった。この頃になると、私の方も半分は腹を括って、もう半分は開き直って「4年生になるまでは、このまま一緒に登校してあげよう。」と考えていた。
運動会の揺り戻しもなく、落ち着いていた。朝起きて、担任の先生から時間割を聞いて、何時間目から登校するかを自分で決める。それが一時間目のときもあれば、3時間目になってしまうときもある。
登校時間にあわせて、着替えを済ませ、時間割をあわせて一緒に登校する。学校までの5分くらいの道を、私が勝手に作った替え歌を歌いながら(娘は恥ずかしがってはいたが・・・)校門をくぐる。3階の教室まで一緒に登校。クラスメイトが迎え入れてくれて、私は引き返す。
慣れてしまうと、これが当たり前であると勘違いしてしまうくらい安定した毎日だった。この頃は自分で決めた登校時間をごねたり、嫌がったりすることはなかった。家に帰ってくると、友達と近所の児童館に遊びにいき、夕方暗くなるころ帰宅するという毎日だった。
次の難関は、一番苦手とする「学習発表会」。壇上で自分のセリフを言わなきゃいけない。注目もされるし、緊張もする。この難関を乗り切れれば、通常登校への道は一挙に切り開かれるような気がしていた。
その日、いよいよ学習発表会の内容の説明があるということで、しきりと「どういうことやるのかな?」と不安がり、給食まで登校することができなかった。3年生の発表会は、国語の授業でも学習した落語の「寿限無(じゅげむ)」をクラスみんなでセリフを分担してやることになった。
娘の役は、「村人その5」に決まっていた。一人で言うセリフは劇中で2個だけだったが、嫌がる様子はなかった。出し物とセリフが決まって安心したのか、意欲的に練習しはじめた。何度も「聞いて、聞いて。」と言っては2つのセリフを大声で言っていた。自分のセリフに飽きると最初から全部を読みはじめ、「ここは、○○くんのセリフ、ここは○○ちゃんのセリフで、この後ころんだりするんだよ。」と教えてくれた。
発表会練習は、ほとんどが一時間目だったのだが、それに合わせて登校するようになった。1学期、自己紹介が嫌でソファーにしがみついていた娘とは別人のようだった。
発表会当日。多少の緊張感をかもしながら、でも臆することなく登校した。舞台で動き回る娘の姿がとても誇らしくうれしかった。不登校がはじまって8カ月。この日、もう通常登校までそんなに時間がかからないだろうと確信した。それがいつになるのかはわからなかったが・・・。
<つづく>