1月 312011
 

運動会が終わり、11月。定期的にスクールカウンセラーの先生と話をしていた。娘は、少しずつだが着実に通常登校への階段を昇りつつあった。先生からは「順調に回復してきているので、今のままで、あせらず付き合ってあげてください。」ということだった。この頃になると、私の方も半分は腹を括って、もう半分は開き直って「4年生になるまでは、このまま一緒に登校してあげよう。」と考えていた。

運動会の揺り戻しもなく、落ち着いていた。朝起きて、担任の先生から時間割を聞いて、何時間目から登校するかを自分で決める。それが一時間目のときもあれば、3時間目になってしまうときもある。

登校時間にあわせて、着替えを済ませ、時間割をあわせて一緒に登校する。学校までの5分くらいの道を、私が勝手に作った替え歌を歌いながら(娘は恥ずかしがってはいたが・・・)校門をくぐる。3階の教室まで一緒に登校。クラスメイトが迎え入れてくれて、私は引き返す。

慣れてしまうと、これが当たり前であると勘違いしてしまうくらい安定した毎日だった。この頃は自分で決めた登校時間をごねたり、嫌がったりすることはなかった。家に帰ってくると、友達と近所の児童館に遊びにいき、夕方暗くなるころ帰宅するという毎日だった。

次の難関は、一番苦手とする「学習発表会」。壇上で自分のセリフを言わなきゃいけない。注目もされるし、緊張もする。この難関を乗り切れれば、通常登校への道は一挙に切り開かれるような気がしていた。

その日、いよいよ学習発表会の内容の説明があるということで、しきりと「どういうことやるのかな?」と不安がり、給食まで登校することができなかった。3年生の発表会は、国語の授業でも学習した落語の「寿限無(じゅげむ)」をクラスみんなでセリフを分担してやることになった。

娘の役は、「村人その5」に決まっていた。一人で言うセリフは劇中で2個だけだったが、嫌がる様子はなかった。出し物とセリフが決まって安心したのか、意欲的に練習しはじめた。何度も「聞いて、聞いて。」と言っては2つのセリフを大声で言っていた。自分のセリフに飽きると最初から全部を読みはじめ、「ここは、○○くんのセリフ、ここは○○ちゃんのセリフで、この後ころんだりするんだよ。」と教えてくれた。

発表会練習は、ほとんどが一時間目だったのだが、それに合わせて登校するようになった。1学期、自己紹介が嫌でソファーにしがみついていた娘とは別人のようだった。

発表会当日。多少の緊張感をかもしながら、でも臆することなく登校した。舞台で動き回る娘の姿がとても誇らしくうれしかった。不登校がはじまって8カ月。この日、もう通常登校までそんなに時間がかからないだろうと確信した。それがいつになるのかはわからなかったが・・・。

<つづく>

 Posted by at 9:24 AM
1月 302011
 

昨夜は興奮して寝付けなかった。

アジア杯の優勝は、4度めなのでとりたてて偉業を達成した訳でもないのだが、

その闘いぶりは、今までにない勝利だ。

ここ数年日本代表が言われ続けた、「決定力不足」「先発と控えの不協和音」「海外組と国内組の実力差」

という文言がメディアから消えた。

あの辛口評論家・セルジオ越後氏をして「ヤッター!」と叫ばせてしまうチームの団結力とザッケローニ監督の統率力。

すっかり岡田監督の影を薄くしてしまった感のあるアジア杯の優勝。

チームスポーツにおけるリーダーの存在がいかに大きいかを思い知らされたドーハの闘いだった。

 Posted by at 3:12 PM
1月 292011
 

2学期がはじまって間もなく、「運動会」のシーズンに突入した。運動会をどう乗り切れるか、不安と期待の入り混じった心境だった。

まだ運動会練習が始まっていなかったが、その日は珍しく「体育」の授業を受けるという。大丈夫かと不安もあったが、体操着をもって登校した。教室ではもうみんな着替えを終えて運動場に集まっていた。着替えするのを待って一緒に運動場に向かった。友達が「Yちゃん、ここだよ。」って教えてくれ、緊張した顔で整列していた。

帰宅すると、その日の体育がいかに楽しかったのかを興奮気味に話してくれた。「徒競争で、3番だったよ。本当はもう一人抜けそうだったんだけど、だめだった。次は2着になるからね~。」妙に自信たっぷりに話すのでこちらも「2番と言わず、一着は?」と聞くと「それは無理!」と即座に返された。

この徒競争で自信をつけたのか、翌週から始まった運動会練習には、一時間目からでも登校した。走るだけではなく、クラスのみんなと一緒のダンスにも遅れることなく付いて行った。家に帰っても今日どんなダンスをしたかを得意げに話してくれる。まるでこのまま朝から行けるようになるのでは、と思わせるほどの回復ぶりだった。その意欲が現れているのか、練習がある日は1時間目の始業にあわせて、練習がない日でも2時間目からは登校できるようになり、「運動会刺激」がいい方向で娘の登校を促していた。

いよいよ運動会の朝。かなり緊張していたようだが、なんとかみんなの登校時間にあわせるように学校へ。到着するとすぐに友達と一緒に着替えはじめた。

50m走は二着。学年でのダンスも元気にこなし、お弁当はお友達と一緒に楽しそうに食べた。娘にとって、「運動会」を乗り越えられたことは大きな自信となったようだ。

運動会があまりに順調に終わったので、逆に不安になった。完全燃焼した揺り戻しがあって、このいい流れが止まってしまうのではないかと不安だった・・・。

<つづく>

 Posted by at 4:53 PM
1月 272011
 

夏休みが終わり、2学期に。長い夏休み明けで心配したが、始業式こそ、登校できなかったが、翌日からは今まで通り、途中登校ができた。

そんなある日・・・。どうしてもその日は、午前中に仕事が入ってしまい、何とか私が出かける時間に一緒に登校しようとしたのだが、敏感にそんな雰囲気を察してか、一向に準備をしない。

まさか、「取引先に不登校の娘がいるので、打合せには伺えない。」と伝える訳にもいかず、とりあえず娘ひとりを残して打合せに向かったのだが、心配でならない。

仕方なく、だれか先生に迎えにきてもらおうと学校に電話したところ、あいにく、手の空いている先生は、校長先生しかいなかった。校長からは、「わかりました。私が迎えに行くようにします。」とのこと。

さて、打ち合わせから戻ると、家にはまだ娘がいて、テレビを観ている。どうやら、迎えにきた校長のチャイムには、一度も出なかったらしい。

よくよく考えると、親と一緒に登校するのでさえ、渋る娘が校長と一緒に登校できるわけもないのだが・・・。

この日の欠席からは、通常登校できるようになるまで、一日の休むことはなかった。

 Posted by at 6:57 PM
1月 262011
 

娘の学級は、男女あわせても25人の少人数な学級だった。娘が遅れて登校できるようになると、みんな娘の名前を呼んで教室に招きいれてくれるようになった。娘の状況を知ってのことなのか、遅れて教室に入る時、気まずい思いをしたことは一度もなかった。

不登校から1カ月くらいたった頃、クラスのお母さんから「実はうちの子が、Yちゃんが遅れてきても、先生は叱らないから、『Yちゃんはいいな~。』って言ってたよ。先生からYちゃんの状況をきちんと話してもらった方がいいのでは・・・?」という話をもらった。

私も、娘の不登校がクラスに悪影響を及ぼさないかと怖れていたのだが、とりたてて話をしてもらうことで、逆にそのことが意識されてしまわないかと悩んだ。スクールカウンセラーの先生に相談したところ、「今はそっと見守っていた方がいいのではないでしょうか。」と助言もあったので、先生から説明してもらうことはしなかった。

その後も、クラスのみんなの娘への態度が変わることはなかった。

「授業始まるよ。急げ~。」「次は音楽室だから一緒に行こう。」「先生、Yちゃんが来たよ~。」

毎日、毎日登校するたび、温かく迎え入れてくれるのは、この時期一番ほっとする瞬間だった。

放課後も友達と遊ぶようになった娘は、友達から「学校休んだら、放課後遊べないよ。」と言われたらしく、どんなに遅くなっても登校し、ほとんど休むことはなくなった。

<つづく>

 Posted by at 10:06 AM