9月 182018
 

樹木希林という女優の代わりは、誰がいる?

これまで、樹木希林が演じてきた役は、誰が担うのか、思いつかない。

まさに、唯一無二である。

かつて、一度だけお会いしたことがある。

当時、勤めていた新聞社で、特集記事の作成にあたり、

養老孟司さんのご指名で、お願いしたのが、樹木希林さんだった。

飄々としながらも、その洞察は深く、あの養老さんをたじろがせた場面もあった。

対談終了後、樹木さんから「この辺で、静かに花火が見られるとこないかしら?」ということで、

急遽、閉館していたイベント会場での花火観覧会となった。

偉ぶることなく、気さくで自由奔放な様子は、希林さんそのままであった。

合掌

10月 192016
 

静かに時は 流れゆき 春が舞い降りてくる

出会いを噛みしめてる間に 一年が過ぎた

初めて出会った頃の 人懐っこい笑顔に

ずっと支えられたまま 季節が巡っていた

 

きみ達の明るさ 優しさ そして素直さに

触れるたびに いつも 自分が恥ずかしくて

みんなと一緒に ここまで 歩いてこれたこと

僕の一番の宝物に なるような気がする

 

双葉から育ち やがて大きな木になれ

天まで届くような 大きな木になれ

 

言葉では とてもとても 言い尽くせないほどの

たくさんの贈り物を いま胸に抱いて

お返しできるものが なにもないけれど

今 この歌とともに 「どうもありがとう」

 

双葉から育ち やがて大きな木になれ

天まで届くような 大きな木になれ

 

 

2月 232016
 

先日は、三軒茶屋にあるカレー屋さんを貸し切っての大学時代の友人と25年ぶりのライブだった。

「Sweet Home CHICAGO」「おそうじオバちゃん」「Tears In Heaven」「雨上がりの夜空に」など、

計8曲の30分余りのライブだったが、

学生時代から就職するまでの5年間あまりをバンドマンとして過ごした私には、

当時の懐かしい感覚が、よみがえってきて心地よかった。

暖かいお客さん達にも恵まれ、気分よく歌えたし、誘ってくれた友人には感謝…。

プロになりたいとか、他人から評価されたいとか、余計なことを考えず、

単純に音楽を楽しめたことが、最高の一夜だった。

 Posted by at 11:12 AM
1月 192016
 

15歳、中三の多感だった少年時代、彼と出会った。

私がバスケット部、彼はサッカー部だった。

大きな目で色白で、シャイだが芯の強い人だった。

いつしか、気の合う親友になっていた彼は、私が高校に通うまでよく遊んだ。

彼の家にも、よく遊びに行った。

高校に入り、私は市内の高校だったが、彼の通う工業専門学校は、遠く御坊市内にあった。

お互いの生活が忙しくなり、すっかり疎遠になっていた彼の消息を知ったのは、偶然だった。

介護の会社を営む友人のもとに、彼が運ばれてきたことからだ。

彼の病は「脊髄小脳変性症」という難病を患っていたからだ。

弱りゆく身体をどうすることもできない不治の病は、まだ53歳の身体にも容赦なく襲いかかった。

そして、今日、友人より彼が亡くなったという連絡を受けた。

「15の春」彼の柔らかな笑顔しか思い出せないのが、悔やまれる・・・。

 

12月 252015
 

時代は、浪曲という芸に接する機会をほぼ失くしてしまった。

ただ、そんな中「国本武春」だけが、今の時代と浪曲との接点を探し求めていた気がする。

巧みにバンジョーを鳴らし、ウエスタン調に浪曲を唸ったり、

十八番の「忠臣蔵」の熱演は、観る者を惹きつけていた。

10年前のパルコ劇場で、人に勧められ拝見した彼の独演会は、

まさに度肝を抜かれる体験をした。

その活躍も、結局は病魔に打ち勝てず、志半ばでの旅立ちとなってしまったことは、

浪曲界だけでなく、日本の芸能文化にとっての損失と言えるだろう・・・。

だれも真似のできない芸当なので、後を継ぐ者もいないだろうが、

「国本武春」の残した浪曲師としての芸は、胸に焼きついたままである。