不登校を考える親の会で、不登校を克服した子どもとの会話の中で、「不登校をしている期間中、親にどういう風に接してほしかったか?」という問いに対して「柔らかくそばにいてほしかった。」という答えが返ってきたということを聞いた。
遅れて一緒に登校する娘に、他愛もない替え歌を口づさんで登校したしたことを思い出した。最初は恥ずかしがっていた娘も、「今日の歌はなに?」と聞いてくるようになった。
不登校に接して、平静でいられる親など存在しない。最初の一か月はもがき苦しむ。自分の子どもに対する不信感や、子育てに対する反省が、ぐるぐる頭を巡る。自分の生き方まで否定されたように考える。
しかし、寄り添ううちに、子どもは変わる。少しずつ少しずつ、行き戻りしながらも一歩ずつ進んでゆく。そのためには、親が変わらなければいけない。子どもの成長に合わせるように一歩ずつ・・・。
それが、半年かかるのか、1年なのか、3年なのか、もっと先なのか・・・誰にも、不登校の本人でさえもわからない。そばにいてあげられるのは、やはり親しかいない。
「不登校」という生き方を選んだ子ども。 その子どもと一緒に向き合うことは、決して辛いことだけではなかった。
ようやく、今そう思える。
娘が4年生のとき、私の誕生日に一枚の手紙をもらった。
「おたんじょう日おめてとう!
3年生のころは、ふとうこうのわたしをささえてくれたね!
わたしは、そのおかげで学校にいけるようになったよ!
4年生になっても勉強をがんばるから、おしごとがんばってね!」
<おわり>