(2009年08月29日11:53)
仕事として、かおを出すことはあっても
お客としていくことはないだろうと思っていた
夏休みフジテレビイベント「お台場合衆国」。
娘たちにせがまれ、まあ夏休みの思い出になればと
出かけてみた。
さすがに、番組と連動したやり方には、もう慣れているのか、
うま~く踊らされている感じ。
物価の高さも行列も、企画のゆるさも
なぜか、許してしまうイベントなんだよね。
P.S 娘たちは、途中迷子になったときの運営スタッフのテキパキ感には
感心した。
(2009年08月29日11:53)
仕事として、かおを出すことはあっても
お客としていくことはないだろうと思っていた
夏休みフジテレビイベント「お台場合衆国」。
娘たちにせがまれ、まあ夏休みの思い出になればと
出かけてみた。
さすがに、番組と連動したやり方には、もう慣れているのか、
うま~く踊らされている感じ。
物価の高さも行列も、企画のゆるさも
なぜか、許してしまうイベントなんだよね。
P.S 娘たちは、途中迷子になったときの運営スタッフのテキパキ感には
感心した。
5日は、4年前に亡くなった父の命日だった。
父が亡くなって以来、8月5日が近づくと、父のことを考える機会が多くなる。
私が子どもの頃、夕食時に何度も繰り返し聞かされた話がある。
「魚屋になりたくて、なった訳やないんや。
ほんまは、中学校に進み、野球やりたかったんや。
お城のお堀まで飛んだホームラン打てたからな。けど、家の事情ではそうもいかへんかったから、
そんで、軍人になろうと思たんや。そやから、小学校出てすぐ予科練に進んだんや。
戦争に勝ってたら、わしかて今頃はすごかった。」
みたいな話をよく聞かされた。たしかに、野球はうまかった。
「ほんまは、特攻隊で華々しくお国のために散れれば本望やった。
もう一年、戦争が続いていたら、特攻いっとったな~。」
そのときは、また、この話しかと聞き流していたが、
もし、そうなっていたら、自分はこの世にいなかった・・・。
父が、終戦の日の10日前に亡くなったのも、なにか因果なものを感じる。